第12回 「泥棒をしたお金には税金がかかる?」
 
 株主総会のシーズンも終わり、公開会社の総務・経理部には束の間の休息時間が訪れます。クライアントの経理部長と事務所のT嬢が応接室で談笑しています。
 部長はすでに定年に近いのですが、最近になって税理士試験に挑戦しているナイスミドルです。実務的な知識はプロ級ですから、試験勉強をしていくにしたがっていろいろな疑問が沸いてくるようです。
「ねえ、T先生。今年は所得税を勉強しているんですけど、課税される『所得』とは何かについては条文のどこにも書いてないですよね。法人税は企業の利益だとはっきりしているのに、少し変じゃないですか?」
「え?!書かれていないですか?」そういいながら彼女は傍らの税務六法を紐解きます。
「通常この手の定義は第2条に出てくることが多いんですけれど、確かに給与所得や一時所得のような種類の説明はしてありますが、所得とは何かについてはありませんねえ」
 困惑気味のT嬢の顔を見ながら、にやにや笑いながら部長が続けます。
「それでね、少し調べてみたんですよ」
 そう言って部長はカバンの中から資料を出します。
 所得税にいう所得の考え方には大きく分けて2つの学説があるといわれています。一つは「所得源泉説」といい、反復的で継続的な個人の利益だけが所得税の対象になるというもので、一時的な土地の譲渡益などは所得になりません。
 もう一つは、「純資産増加説」といい、あらゆる利益が包括されて所得を構成するという考えです。
 日本においては戦前は前者の所得源泉説に基づいた課税を行っていましたが、戦後はアメリカの影響を受け、後者の純資産増加説で課税が行われていると考えられています。ただし、包括的といいながらも保有している土地や株式の値上がり益などの未実現の利益については課税はされません。
「部長、そんなに勉強されていて、私のことをからかいに来たんですね?」
 T嬢が部長を睨みます。
「いえいえ、からかうなんて。勉強すればするほど試験に関係のないことばかり気になってしまいましてね」
 部長は頭をかいて続けます。
「ところで、T先生は泥棒して得たお金は税金がかかると思いますか?」
「それは当然にすべての利益が課税される以上税金はかかるはずですよ」
「でもね、泥棒したお金は自分のものじゃないんだから、捕まったら返さなくてはいけないでしょう。もし返すんだったら利益はないはずだから税金もかからないと思うんですけど、どうです?」
「うーん」
 ここで、T嬢から私に応援依頼がきました。
「部長お得意の、若者いじめが始まったようですね」
 部長は薄笑いを浮かべています。
「結論から申し上げると、違法に得た所得でも課税されるということについてはその通りです。戦前は闇取引については課税をしないとか窃盗や強盗には課税しないという考え方もあったようですが、今は課税で統一されています」
「当然ですよね。まじめに働いた人だけ税金を払って、泥棒さんが税金を払わないなんて納得できませんものね。でも、部長が言われていた返還しなければならない時にはどうなってしまうんですか?」
「それも、難しく考える必要はなくて、泥棒して得た利益も一旦は所得として課税して、その後に裁判等で返還が確定したところで、税金も還付するということですね」
 これらの違法所得に関する議論はいろいろなところで戦わされているものです。例えば窃盗で得た利益でも所得になるのであれば、必要経費は認められるのか、という疑問が当然のようにわいてきます。違法所得に関する必要経費については、違法な支出については経費としては認めないと解釈されていますが、異説を唱える専門家もいます。
「最後の質問はオグリ先生にしようかな」
「どうぞどうぞ」
「犯罪者が泥棒で儲けたようなときには、普通よりも多くの税金を徴収するようにすればいいと思うんですが、なぜそうなっていないのでしょうかね」
「確かにまじめに働いている人だって所得計算に誤りがあるだけでも加算税や延滞税が課せられるのですから違法な所得には懲罰的な課税があってもいいような気がしますね。ですが、どの所得が適法でどの所得が違法かをその都度判断することは困難ですから、事実上不可能なのでしょうね」
「でも、そのために税務調査があるのじゃないですか?」
 ここで、T嬢が割り込みます。
「それは違うんです、部長。所得税には234条に税務調査の決め事がありまして、そこに『質問又は検査の権限は、犯罪捜査のために認められたものと解してはならない』となっています。つまり、課税所得があるかないかを調べることはできても犯罪であるかを調べることはできないんですね」
「ほう、それは初めて知りました。税務調査にはもっと強制力があるものだとばかり思っていました」
 もともと税務調査という時には、通常は任意調査ですから査察などのような強制力はありません。しかし、一般に人から見ると区別はつかないかもしれません。
「たかが所得というだけで随分と議論ができるものなのですね、T先生」
 部長が嬉しそうにT嬢に声をかけました。
「すっかり部長のペースに乗せられてしまいましたけど、一体何が所得となるのかはとても重要なテーマの割にはあまりまじめに考えたことがなかったですからこれを機会に少し勉強してみます」
 しかし、そもそも申告納税制度を採用している日本では各個人が確定申告をすることになっていますが、一体年間に何通ほどの泥棒さんからの申告書が提出されているものなのでしょうか。気になるところです。

  上記記事の内容は、葛゚代セールス社発行 Financial Adviser2002年9月号に掲載されたものです。